インドネシアの生の声を聞く会

日時 1998年5月27日  場所 札幌市ネットワークプラザ
国際協力事業団 専門家(農業技術) 東山 啓三 氏


「インドネシアの生の声」を聞く会に参加して

報 告 山中 道夫

5月27日水野さんの企画で開催されました「インドネシアの生の声を聞く会」に参加する機会をえました。

今回のインドネシア暴動による避難のためインドネシアから一時帰国された、東山啓三さんが多忙な時間を割いてのお話であり、非常に有意義なお話を聞くことができましたので、皆様方にも是非お知らせいたしたいと思います。

東山啓三さんは北海道庁を退職後、1990年に農業技術指導員としてインドネシアに行かれて、スラバヤから80qほどの距離にありますマランの農業技術研究所で、馬鈴薯の組織バイオ・大豆の増殖等の研究指導をなされております。

インドネシアのネシアとは島の意味であり西南太平洋の島嶼群で、スマトラ・ジャワ・ボルネオ・セレバス・チモール等の諸島及びその付近の島々13,667の島からなり、そのうち約3,500の島に人が住んでいると云われております。

東西に5,000qとアメリカ大陸のロスからニューヨークの距離と同じぐらいの広さがあり、首都はジャカルタで国の面積は190万平方q、人口は約1億8千万人位だと思います。

1945年に独立宣言、1949年にオランダから主権を譲られて連邦制共和国となり、翌1950年に単一共和国に改めました。

住民の90%はイスラム教を信仰し残りの20%が仏教・キリスト教徒です。信仰宗教が違えば結婚もできません。又一夫多妻制で男性は4人まで奥さんを持つことができ、子供が20〜30の人も珍しくありません。

男性は女性に対し「子供を与えてあげる」と云う考えが根強く、子供が何人かできれば次の女性と結婚して又子供をつくっていきます。

今回のインドネシア暴動に関して暴動は学生達が主役のように報じられておりますが、現実は違っております。たしかに各地の学生達は国家権力に対しての抗議デモを行っておりますが、その学生デモに一般群衆が合流し暴動の主役はその一般群衆達です。

手当たり次第に車を襲いひっくり返し放火する。商店・ビル等のガラスを割り内部に乱入し物品を強奪し放火する。治安がもの凄く悪く外出などできる状態ではありません。  暴動は首都ジャカルタだけでおきているのではなく各地でおきております。今回の暴動に関してアメリカ等は暴動を早期に察知し、在インドネシアのアメリカ人に対して出国命令を出し、各地の国際空港に本土からの救援機やチャーター機が飛来し、早い時期にほとんどのアメリカ人は国外退去をしてしまいました。

日本の対応は非常に遅く避難のための救援機は首都ジャカルタに飛来し、領事館からはジャカルタ迄集結するようにとの指示がありましたが、現地からジャカルタ迄の間に何カ所も危険な場所があり、ジャカルタ迄集結するにが大変なことです。

インドネシア各地には国際空港がありますので、何故アメリカのように各地の国際空港に分散して救援機を飛ばせなかったのか疑問がのこります。

船での救援の話も出ておりましたが、港の周辺には低階層の人が多数住んでおり一番危険な場所であり、港まで行く手段が殆どありません。もっと現地の状況を把握した上で対策をとってほしいと思います。

東山さんは特別ルートで航空券を入手し、現地に近い空港から退去したとのことでした。

大使館のインドネシア各地の情報入手不足が大きな原因ではなかろうかと思います。以前の大使は、日本人が働いている各地を回り良く対話をもち情報を入手していたようですが、現在の大使は一度も来たことがなくそのようなことにも原因があるような気がします。

危機管理の考え方が諸外国に比べると日本はかなり遅れているのではないでしょうか。各国に対して国際外交上の問題もあり、アメリカのようにシビアな毅然たる態度がとれないと云う、国内事情もあるような気がします。

小学校は義務教育になっておりますが、全体の約50%位の人しか小学校には行けません。その理由は小学校がないと云うことです。小さな島には殆ど小学校はありません。

小学校の授業は早朝6時から、午後、夕方からと3部制で行われております。又完全な学歴社会であり、学歴により自分の行き着くところは決まってしまいます。学歴のない人でいくら仕事ができ卓越した能力があっても絶対偉くはなれません。

当然学歴によって給料格差も大きくあり、学歴による差別も平然とまかりとっています。

小学校にもいけない人が多いせいか母国語であるインドネシア語が分からない人が沢山おり、田舎の小さな島等に行くと今だに種族語を使っており言葉が分かりません。当然英語等も全然だめです。

東山さんが勤務しておられる農業技術研究所でも一番よく働くのは給料の低い高校卒の人で、働かない人は給料に高い大学卒の人のようです。

自分の知りえた情報は絶対人には云わづ自分の財産として守ると云う風習が根づよく あり、例えば上司が部下に対して何かの資料を渡し、コピーして全員に渡すようにと指示しても、資料を私物化し誰にも渡さないと云うことが良くあるようです。それは誰よりも多くの情報を持ち次のステップへのチャンスを狙っているのです。

人からものを頼まれても自分に利益に生ることでなければ、「できない」とは云わず「後でやります」といいながらやってもらえません。「後」とは明日かも、3日後かも、1年後かも知れませんので迂闊にものは頼めません。

低階層の人と上階層の各差が酷く、低階層に人達は自分達が作った米すら食べることはできません。トウモロコシや芋が主食です。

サラリーマンの給料は日本円にして5,000円位/月、1カ月の食費にも足りない金額です。病院は非常に立派なものが完備されていますが、日本のように保険がありませんので病院代が高くなかなかかかれないのが現状です。よほど悪くならなければ病院には行きません。病院に行く時には死を意味します。

例えば、重病で病院に救急車で搬送されたとします。その病院代の支払いが確約できなければ重病であっても絶対見てもらえることが出来づ放置されます。嘘のような本当のはなしです。

インドネシアで一番多いのは国家公務員で給料は非常に少ないようですが、病院にかかっても病院代が無料という得点があります。ただし国家公務員になるためにはそれなりの学歴がなければだめなようです。

東山さんのお宅には、メイドさんが二人と運転手さんが一人います。メイドさんは食事の世話をするメイドさんと身の回りを世話をするメイドさんですが、やはりここにも格差があり食事の世話をするメイドさんが上でその上が運転手さんです。日本からおみやげを買って帰るときも金額的に格差を付けなければ大変なことになります。

メイドさんは若い方ですが下着などは継ぎだらけのものを着用しておりますので、前回帰国の際に二人のメイドさんに同じ下着のお土産に買って帰りましたが、何故同じものなのかとクレームがつきました。

家庭でもこうですから職場に関してはもっと大変で、インドネシアから出るときには全職員から帰国の際のお土産は要求され、地位により格差を付けて買って帰らなければ「何故同じものなのか」と文句をゆわれ大変です。

インドネシアでは田舎でも殆どの道が一歩通行であり曲がりくねっており、一本道を間違えると大変なことになってしまいます。そのために現地の道路に精通している運転手が必要になってきます。又自分一人で運転するのは何時何があるか分からず非常に危険です。その為にも運転手は必要不可欠な存在です。

インドネシアの国会は全員で1.000人で、その内430人は国民の選挙で選ばれ、70人は大統領が軍関係者等から指名し、残り500人は大統領の側近から選ばれますので、大統領選挙をしても大統領派が過半数を占めているため必ず当選する仕組みになっています。

情報通信に関しては1990年頃には日本に国際電話をするのに、申し込んでから15〜20時間位かかっておりましたが、現在は直通で国際電話が出来るように成っております。

テレビも多数の島国ですから衛星通信を通じて受信でき、30チャンネル位受信でき日本のNHKも見ることが出来ます。テレビに関しては日本より進んでいるように思います。

 以上

【追記】

この記録は自分自身の勉強のために取り纏めたものを半分ぐらいに集約いたしました。

メモを取っていなかったため頭の中に記憶していたことを思うがままに活字にしましたので、数字等に間違いがあるかもしれませんがご了承ください。

何となく生の状況が分かっていただけるにではないかと思います。

東山さんには貴重な時間を割いていただいてお話いただき本当に有り難うございました。

誤字及び文章の不味いところも有ろうかと思いますが流し読みをしてください。

michio@comconet.or.jp